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海外との取引の思い出
2021/11/30
網嶋です。
今回は久々に、海外の取引先の話を書いていきます。
姫路電子は、約40年くらい前から主として台湾・韓国その他中国と
永久磁石の貿易をやっておりました。
その長い経験から、海外との取引、特に台湾・韓国・中国の取引習慣について
今回はお教えしたいと思います。
★台湾
親日国ですから、日本人へは非常に親切です。
食べ物も大変美味しいですが、やはり中華料理ですので
いつも3~4日くらいの滞在予定で訪問していたので
3日目くらいになると、下痢をしてました。
訪問は午前中に1社行くと、必ず昼食に付き合わされます。
昼食も2時間くらい掛けて食事をしますので、次の訪問先へは
午後2~3時頃になります。
商談が終わったら、今度は必ず夕食に付き合わされます。
一度ホテルに帰って、6時頃から夕食に行っても
食事に3時間ぐらい掛かり、ほんとに沢山食べて飲んで
その後帰ろうとしても、今度はカラオケに誘われます。
それにも付き合うと、毎日夜11時~12時頃に帰ることになり
毎日、寝不足で疲れてしまいます。
ビジネス面では、価格交渉に非常に厳しく、なかなか決着がつかず
こちらは時間が無いので負けてしまう事が多いです。
台湾での思い出は、ある日台北から高雄に行く用事があったので
朝の飛行機で、一日松山空港から出発する予定でしたが
ホテルから空港に行くタクシーが混んでいたので、飛行機に乗り遅れました。
それで、次の便で行く予定で空港で待っていますと
空港内が大騒ぎになっていました。
私は、何のことか判らず、案内の人に聞いたところ
私が乗ろうとした飛行機が台中付近で墜落したという事でした。
それで、高雄に行くのが恐ろしくなりホテルに帰っても暇ですので
いろいろ用意して、ゴルフに行ってしまいました。
夕方、ホテルに帰ると、ホテルの電話に家から工場から電話がいっぱい掛かっていました。
(※当時、携帯電話はありません)
日本では、私がその墜落した飛行機に乗る予定だったので
死んでしまったと思われていました。
当然、乗客名簿にも私の名前が無かったので更に大騒ぎになっていました。
その後判った事ですが、あの有名な小説家の向田邦子さん(※)が
事故のあった便に搭乗されており、亡くなったという事でした。
この出来事は私にとって、命拾いをした台湾の出張でした。
次回は、韓国のお話をします。
※テレビドラマ「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」などの
有名な脚本を書かれた人です。
1981年 昭和56年 8月22日 午前10時頃
台湾発 高雄行 遠東航空103便の墜落事故により亡くなられました。