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1月17日 阪神淡路大震災記念日に思う事
2022/1/27
毎年、新年を迎えると同時に阪神淡路大震災の事を思い出します。
月日は早いもので
あの震災が起こってから、もう27年が過ぎました。
その当日は、2日程前より九州の得意先へ新年のあいさつに行き
16日に姫路へ帰って来ました。
疲れていましたが、翌日いつも通りに朝5時30分頃に起床して
少しずつ、朝の準備をしていた時です。
朝5時46分、急に「ドーン!!!」と音がして
上下の揺れの後、横揺れが始まりました。
地震が収まってから、廻りを見渡しましたが家の中は特に異常はありませんでした。
この時、姫路は震度5強との事でした。
まず一番に思ったのは、工場内のガス炉の天井が落ちていないかという事です。
その当時、今まで使用していた電気炉からガス炉に取り換えたばかりで
加えて、これまでの生産量を上げるため、炉の長さを1.5m長くして
炉のレンガを積み替えたところでした。
私の家から会社まで車で5分ぐらいですので、朝6時頃に
会社に行ったと思います。
幸い、炉は何の被害もなく、その他工場内の機械も
倒れたり、壊れたりしていませんでした。
ただ、一番驚いたのは
約25年間ほど工場をフル稼働していた為、磁石の原料である粉末が舞い上がり
徐々に天井に溜まっていたのが、地震でドサッと落ちて
工場の床に1~2㎝くらい積もっていました。
そして、炉の作業者もその粉末で真っ黒になっていました。
地震の発生から2~3日は電車が止まっていたので
社員も全員出勤とまでは出来ませんでしたが、すぐ元の状態に戻れました。
一番困ったのは、大阪へ出張するのも神戸地区はしばらく電車・道路が通れませんので
姫路―播但線-和田山-豊岡-京都-大阪 のルートか
姫路港から船で大阪天保山に行って、市街に入るルートで
どちらも約4時間ほど掛かりました。
姫路港から大阪に向かっていると、明石までは何の変化もありませんでしたが
明石より東に行くにつれて、ブルーシートが増えていく事と
潰れたビル、倒壊した家が見えてきました。
しかし、尼崎を過ぎると何の被害もないようでしたし
夜は普段通りに電気が輝いていました。
話しに聞くと、神戸の人は1~2カ月間、水・ガス・電気が無かった中で
一番困ったのは水が無いという事だったそうです。
トイレの水、もちろん風呂の水もなかなか手に入りませんので
一週間に一度、車で姫路まで来て、その当時のスーパー銭湯に入って
水・食料等を買って神戸まで帰っていたそうです。
しかし、人間とは凄いもので、神戸が元に戻るまでに2~3年掛かると言われていましたが
その年末ぐらいに電車も一部を除いて動くようになり、ガス・電気・水もほとんど直り
どんどん普通の状態に戻ってきておりました。
もう、私の生きてる間には、この地区でこのような地震は無いと思いますが
関東、東海沖など、まだまだ日本中で大型地震がある様ですので
お互いに気を付けましょう。
今日、この原稿を書いている日に
また九州地区で震度5強の地震があったそうです。
ほんとうに怖いですね。
網嶋