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~娘の想いで Ⅰ ~
2023/3/20
私の今まで85年の人生の中で、一番悲しかったのは
長女、 由賀里 が今から丁度10年前、3月30日に
47才の若さで永眠したことでした。
死因は、乳癌からの内臓への転移でした。
乳癌の手術をしてから、5年も何もなかたので、油断していたのです。
昔から「良い人は早く死ぬ」と云いますが、
小さい時から性格も良く、
ほとんど人の悪口も云わない、
嫌な時も小言も云わない、非常に明るい娘でした。
小学校は地元の白浜小学校。
卒業後、姫路市内の女子校、賢明女学院に中学校・高校と
6年間白浜の宮から山陽電車に乗って
姫路駅からお城の近くの学校に歩いて通っておりました。
中学1~2年は硬式テニス部に入って、
本当に一生懸命テニスをやっていましたが
結局やりすぎて、手の筋肉を傷めて
このままやると手が動かなると医者に言われて
テニス部を退会しました。
非常にお祭りの好きな子で、祭りになると男子に生まれてこなかったのを
嘆いていました。 (※灘のけんかまつり)
それから次女の亜紀子も長女と同じ賢明女学院に入って、
たくさんの良い友達もでき、楽しい学園生活を送ったようです。
大学は京都にある、京都産業大学のコンピュータ関係の学部に行きました。
12月の中旬くらいに入試試験があったのですが、
丁度パソコンが世の中に出始めた頃で
約1,000人程の希望者があり入学できるのが300人程と聞いておりました。
試験の日は非常に寒く、雪が降って来ておりましたが、
私も付き添いで山の上の大学の試験場まで行って試験の間、
学校の会場でストーブに当たりながら待っていました。
試験が済んで結果を聞いたところ、あまり出来なかったのでダメだと思うと
云う話しでしたので、
京都駅の近くの中華料理屋で多分二度と来ることがないと思って、
二人で食事しました。
幸い合格していたので学校の女子寮に入居しました。
私も引越しの手助に行ったのですが、
女子寮であるのに男の子が入っているのでびっくりして聞いたところ、
男の格好をした、丁度「宝塚のスター」みたいな女子学生でした。
その女子学生は卒業後、海外青年協力隊でずっと活動しているようでしたが
娘が死んでからもお悔みに来てくれていました。
その後2年ほど後に次女が京都精華大学に入学したので2人で同居していました。
大学を卒業してから、コンピュータを勉強していたので、
松下電器産業(現:パナソニック)の
コンピュータ部門の事業部に入社できました。
▼産経新聞/平成18年2月7日
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